生活保護と生存権

 

 中島ゼミ2013年秋学期第1班の発表報告です。

 発表班の班員一人ずつ自分なりにまとめてみたのでお暇な時にでも見てください。

 

(市川)

 小野市生活保護者パチンコ禁止条例を切り口に生存権について考え続ける日々が続いた。

 現に生活保護の者、又は将来の生活保護者を見た目で判断し、市民が市に通報する条例なんて、小野市って思い切ったことしたなあと思った。生活保護者が何をしようと自由じゃないか!25条に「健康で文化的」ってあるしと思っていた。しかし、問題が発生する。そもそも25条は社会権であり、国家から保障されているという立場のものなのだ。また、国家が保護費の使い道を制限することで生活保護者の生存権を保障してるのではないか。また、財源が税金であることから、税金を無駄遣いするなとの批判も考えられることなどだ。ここで、25条の実現方法の難しさに直面したのである。使い道を制限しないことは、突き詰めると金だけ渡し、放置することは結果その人が死んでしまっても仕方のないことだということになり、25条の存在意義を疑うことにつながってしまう。しかしながら、25条が必要なことはわかっており、じゃあ25条の内容とはなんなのか、というのを第2週目に考えてもらった。時代の流れと共にある生存権。「健康で文化的な最低限度」とは何なのか考えることができたと思う。私たちの班では経済的なもののほかに社会や人とつながるものと捉えた。理由は人間らしさは人と関わってこそ生まれると考えたからである。

 生存権の内容を考えることは、将来の社会のカタチの選択につながる。国が社会保障に関する施策を打ったとき、目先の不利益のみを考えるのではなく、25条の観点からなど広い視野をもって将来の選択が出来たらと思います。

 

 

(金澤)

 生活保護制度を利用してパチンコなどをすることは、一般人の感覚にしてみればやはり許しがたいことだとは思います。昨年のとあるお笑い芸人が話題になった際のインターネット上の反応を見るとそれが如実に表れています。こうした反応には、大きく分けて2つの根拠がありました。1つは税金論、自分が税金として支払ったお金が生活のためというよりパチンコなどに使われるのは腹立たしいので制限しろ、という論調です。もう1つは不平等論、自分は汗水たらして働いて稼いだお金でようやく生活したり遊んでいるのに生活保護受給者は働きもせずに遊んで暮らしている、という論調です。一般人の議論に反論できるとすれば、セーフティネットとして将来当事者になりうるのだから、不平等だという反論は当たらないし、生活保護制度は国民皆の税金で作り上げているシステムなのだから税金が云々という反論も当たらない、といったところであろう。

 しかし、この2つの論調の行き着く先には、モラルハザードや国力の衰えがありえます。つまり、人々が苦痛である労働をやめて、楽である生活保護に流れ込んできてしまう可能性があるわけです。実際の先のお笑い芸人の事件では「あいつが貰えるんだったら自分も貰えるだろう」と人々が申請に殺到した経緯があります。もし労働者が減り生活保護者が増えてしまえば、国力は落ちます。モラルハザードとは関係ありませんが、ドイツとフランスの比較は国力維持・向上という点で大変面白いと思ったので取り上げました。日本も経済的にも財政的にも余裕があるわけではありません。果たしてそういった状況の中でも生活保護制度を維持するか、モラルハザードを抑えるために何らかの方法で流用を抑えるべきなのか、など極限での選択が迫られる可能性は多分にあります。将来こうした選択を突きつけられた時に、今回扱った生存権はなぜ保障されなければならないのか、保障されるとしてその中身はどのようにあるべきなのか、という議論に立ち戻って考えていただければと思います。仮にその中で生活保護を維持すべきとの結論に至ったとしても、その先にどういった制度設計をすればいいのかという問題も残ります。その制度設計を考える上でも今回取り扱ったことは参考にはなるはずです。思考停止に陥ることなく何が良いことでその実現には何が必要なのかを問い続けてもらいたいです。

 

(益田)

発表お疲れさまでした。

生存権を扱ったのですが…権利として曖昧で、議論の構成が大変難しかったです。

また、準備に向けて集まる回数は多かったのですが、進捗は芳しくなく、ギリギリまで発表を練ることになったことには反省しています。計画的に進める必要性を痛感しました。

発表を考えるにあたっては、意見をしっかりと聞いてくれる班の皆さんの雰囲気に助けられました。お陰様で充実した時間を過ごすことができたと思います。お世話になりました。

(石井)

 パチンコ禁止条例班です。( ノ゚Д゚)こんにちは

 以下がざっくばらんな発表内容です。

 第1週目の発表 

  生活保護費受給者が娯楽費に受給費を使っていいのか。

  生活保護制度の概要~ロ―ルプレイングを用いて~

 第2週目の発表 

  生存権とは何を保障しているものなのか~自分が豊かな家庭に生まれるも貧しい家庭

  に生まれるもわからなかったら~     

 まず訂正しなければいけないのは班テーマであり正確には「パチンコ禁止条例」班ではなく、「生存権と生活保護」班だということです。というのも、僕らが6人で発表の班を組むきっかけになった兵庫県小野市の「小野市福祉給付制度適正化条例」 (https://www.city.ono.hyogo.jp/p/1/8/16/1/13/)はパチンコそのものを禁止しているものではなく、生活保護費受給者がパチンコをしているのを見つけたら小野市に通報することを罰則無しに市民の責務とするにとどまるものであるからです。加えて私たちは広く生存権と生活保護について検討しました。「パチンコという趣味は善か悪か」といった自己決定権に流れやすい観点からは検討はしませんでした。

 感想としてはやはり早大生、「自分は生活保護費をもらって生活するようなことないんだし、国が生活保護費としてお金をあげた以上は生活保護費受給者が何に使おうと自由でしょ?」という意見が多かった気がします。私たちとしてはこの意見を一見寛容な意見であるが、ある意味無責任な意見に聞こえてなりませんでした。「そんな他人事でいいのか」と。「僕らが納める税金だぞ?」と。

 生活保護制度は税金を納めて、国家が貧困者にお金を投げればいい制度では決してない。生活保護費受給者をも含めた社会のあり方を問いただすこの問題に、貧困とは一見縁遠く思える「エリート」であり税金もさほど納めていない「学生」であるゼミ生をいかに前のめりに議論させるかがテーマだったのかもしれません。

 生存権の中身を考えることはこれからの社会のあり方を考えていくこと。社会保障なんていらない自由至上主義のもと一部の裕福な者の富を大きくしていく社会を目指すのか、貧しい者にも目を向けて皆が富も不安も分け合える社会を目指すのか。

 私たち発表班は1ヶ月に渡る(発表一週間前はほぼ毎日学校に足を運びました笑)発表準備の中で生存権は「すべての人に、生存を前提とした、社会へのつながりを保障する権利」であるという結論に行き着きました。不況の中長時間労働で時間に追われ、格差がひろがり、核家族化が進み家族の絆も希薄になり、インターネットを介してのコミュニケーションが多くなってきた現代。あなたはお隣に住んでいる住民の顔がわかりますか?このような現代では個人が生きていけるかどうかという個人単位の視点以上に人間が社会の中で相互に影響を与え合いながら生きていくものだという視点が生存権を考える上では重要視されるべきなのではないでしょうか。

 生存権は抽象的権利で立法裁量や行政裁量が広いからあーだこーだという法学部生が感じる生存権の「あいまいさ」をすこしでも払拭できたのなら幸いです。2週間の発表にお付き合いいただきありがとうございました。

 

(松本)

当事者意識をもつことが私にとって一番のハードルでした。準備当初、当事者の立場にたって考えることで当事者意識をもつことができると考えていました。しかし、相手の立場にたとうとしながらも、「生活保護=他人事」という感覚も同時に持っていました。今は、この感覚をもっている限り、当事者意識をもつことはできないと考えています。

生活保護制度は、「他人事」ではありません。ゼミでお話したように、生活保護制度は、社会の一員である私達がかけた保険です。他にも様々な考えがあると思いますが、私はこの説明に納得がいき、それ以降は生活保護制度が「他人事」から「自分と関係のある事」になりました。当然ながら、「他人事」よりも「自分と関係のある事」の方が真剣に議論することができますよね。真剣に議論することができて初めて当事者意識をもっていると言えるのではないでしょうか。

当事者意識をもつためには、「他人事」を「自分と関係のある事」にすることが必要なのかもしれません。

 

(福田)

・生活保護の受給について学べたのはとても有意義だった

・具体的なものと、生存権を結びつけるのがむずかしかった。「パーツはあるけど、生存権にくっついてくれない」という金澤の台詞が印象的だった

・3年がとてもよく動いてくれて助かった

・中島先生にご意見を頂戴することは大切だと思った

・なんで生存権にたよらなくてはいけないのか、そういう人が生まれない社会がいいよね

・ぱちんこ、イイ

 

                                     以上

 

 

 

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